シンガポールの思い出

2010-2014年、星国に滞在していたときの記録

キナバル山 (Mt. Kinabalu) に行ってきた

シンガポールに来てから、山に縁がある。 R0013329

最初に仲良くなった現地の友人がハイキング好きだった。ハイキングサークルに誘われて参加するようになった。そこからまた友人ができ、また別のハイキングに行き・・・、気がついたらコタキナバルにあるマウント・キナバル=キナバル山に登ることになっていた。

日程:4月21−25日の4泊5日(うち登山は22−23日の2日間) 費用:1500シンガポールドル弱(飛行機代込み) (マレーシアでは外国人は必ず現地ガイド+バスを雇わねばなりません。外国人向けガイドのほうがお高いので、もし現地民の友人がいればマレーシアに行くときは一緒に行ったほうが安くできます。)

4月21日 午前5時半、Woodlands駅に集合後バスでジョホールバル空港まで移動。何故わざわざジョホールバルに行くかというと・・・半年前にシンガポール発のJetstarチケットを購入しておいたところ、今年2月になって「シンガポールーコタキナバル行きの就航は3月末で終了するよ。それ以降のチケットを買ったひとは旅行を前倒しするか別のところに行ってね」という連絡がJetstarから来た。そんな無茶な。格安航空おそるべし。コールセンターに電話して「そんなの無理」と頼んで無事払い戻しはできたが、2月になって別の格安航空会社のコタキナバル行きチケットを取ろうとするも満席。やむなくジョホールバル発コタキナバル行きのAirAsia便を使うことになった。

お昼くらいにコタキナバルに到着、現地ガイドバスに乗り換えてキナバル山のふもとに移動。レストランでランチを食べたり、杖(木の枝をきれいにした簡単なもの)や防寒具を売っている店に寄ったり、ローカルマーケットを冷やかしたりしつつ移動して、キナバル山ふもと(標高1000メートル程度)のホテルに着く頃には早めの晩御飯にちょうどよい時間だった。夜は中華をもりもり食べて、その日は早めに就寝。

22日 午前6時半起き、7時に朝食を食べて7時半に出発。登山前にふもとの山小屋でレジストレーションを行う。キナバル山は入山規制を行っていて登録証を持っていないと入山できない。(こっそり入山しても山小屋の数は限られているし、山頂に向かう1本道の入口で登録証チェックがあって怒られる。なにより危険なのでやめましょう。)ポーター(荷物の運び屋さん)を雇う場合は登録と同時に頼む。ポーターはバッグ1つあたり80ー100リンギット。上に持って行く必要がない荷物はレジ小屋にあるロッカーに預けることもでき、こちらは10リンギットR0013313

パックランチを受け取って8時半頃に登山開始。ちょっと雲が出ていた。 R0013314

登り始めてすぐに滝があった。 R0013321

100−200メートル高度が上がるごとにサインがあり、それを励みに登る。登る。登る。地元民であるガイド&ポーターは荷物を持ちつつ平然と歩いていくが、自分はだんだんと息が上がってくる。時折巨大な荷物を背負った人たちがすごい速度で自分たちを抜かして行くので「あれはなに?」とガイドに聞いたところ、山小屋への運び屋だという。ひとり約60キロくらいの食料・物資を担いで登り、山小屋にそれを渡すと同時にゴミを受け取って下山するそうだ。時によっては1日2往復くらいすることもあるという。60キロの荷物を持って標高3000メートル程度までを1日2往復・・・!(キナバル山自体の標高は4095.2メートルだが、山小屋は3000メートル地点あたりにある) R0013319R0013323 R0013320R0013318

ガイドの「休憩しすぎるとかえって疲れる」との言葉に従って、休憩はせいぜい10分程度に留めつつ水分補給しつつ歩みを進める。ランチ(サンドイッチとフルーツ)も小分けにして食べる。しかしだんだん疲れて、自分は水分・栄養補給に頭が回らなくなってきた。これがよくなかった。 R0013324R0013325

途中12時半くらい?から雨が降り出した。東南アジア特有のバケツをひっくり返したような雨だ。休憩所で2−30分ほど脚を止めて様子を見たが止む気配はなく、雨が降る中レインコートを着て歩き続けることに。この時点で4時間ほど歩き続けていた。自分はかなりへろへろ。しかし山小屋まではもうしばらく歩かねばならない。杖を使いつつもくもくと歩き続ける。靴の中までびしょぬれになりつつ歩き続ける。雨は次第に弱くなってきたが、その頃には自分の歩くペースはかなり落ちていた。 R0013326

山小屋に着く時間の目安は15時。どんなに遅くても16時までに到着できないと翌日に山頂付近で行う「via Ferrata」というアクティビティに参加できないなると出発時に言われていた。via Ferrataに参加するしないは別にしても、大半の人は15時までに山小屋に着くと言われたので心理的にそこまでには辿り着きたかった。しかし14時時点で「もう疲れた、足が上がらない、早く休みたい」という状態になっていて時間のことを考える余裕はなかった。

最後の30分程度は足が持ち上がらなくて難儀した。 結局山小屋に着いたのは15時ちょっと前。6時間半ほど歩き続けた計算になる。 R0013360 (翌朝撮影した写真。山小屋の向こうにvia Ferrataをしている人たちが見える)

山小屋に辿り着いて、レインコートを脱いで靴を脱いで服を着替えて温かい紅茶を飲んだ。そこで自分がすごく喉が渇いていたことに気付いて、しばらくひたすらに水分を摂取した。山小屋に着くまでで2リットルくらい水を飲むのが目安らしいが、自分は1リットルほどしか飲んでいなかった。またパックランチも残していた。ハイキングサークルの仲間たちに「ちゃんと水分補給しないから疲れたんだよ」と肩を叩いて言われた。

他の人たちはシャワーを浴びたりvia Ferrataの講習を受けたりしていたが、疲れ果てている自分は翌日山頂に辿り着ける自信すらなかったので、via Ferrata講習はパスして水分補給したりパックランチの残りを食べたりした。一通り水分・栄養補給を終えるとひどく眠く、目を開けているのがやっとという感じだった。

晩御飯の時間は18時。仲間たちに「少しでも食べな」と言われて食堂小屋に移動したが、今さっきパックランチを食べたばかりだし眠くてたまらなかったので、すぐに食堂から退散してベッドに潜り込んだ。山小屋の自分たちの部屋は10畳程度の空間に12人分の二段ベッドが格納されていて、とても狭苦しい。また簡易ベッドは固くて寝心地が悪いし、部屋の空気も淀んでいる。さらにシャワーも浴びていなかったので自分の身体もあまり気持ちよい状態ではない。シャワーは浴びようと思えば水シャワーは浴びれたが、標高3000メートルの冷えた空気のなかで水シャワーを浴びる気にはならなかった。唯一救いだったのは標高が高いおかげで涼しく、湿度も低かったこと。衛生的とはいえない環境ながらも湿度が低いおかげで、シンガポールで常にあるペタペタした気持ち悪さがなかった。そんなコンディションだったので、なかなか寝付けなかったが19時くらいには眠りに落ちた。この晩、仲間のうちには一睡もできなかった人もいたらしい。「かにはすごく良く寝てた。疲れてたんだね」とその後何度も言われた。どこでも寝れるというのは自分の特技。のび太と呼んでくれ。 R0013359 (翌朝撮影した写真)

23日 午前1時半起き。起きると身体が軽く泥のような疲労が消えていた。また前夜に山小屋のカウンターでびしょぬれになった登山靴の乾燥を頼んでおいたところ、完全に乾いて戻ってきた。このサービスがあって本当に助かった。簡単な朝食を摂って午前2時に山小屋を出て、山頂に向かう。外はもちろんまだ真っ暗。ヘッドランプ必須だ。幸い雨は降っていなかった。

午前2時に山小屋を出るのは山頂で日の出を拝むため。しかしみな同じ時間に山小屋を出るため、いくら入山規制をしているといっても山頂への道は大渋滞。暗闇のなか、たびたび進みが滞ってあまり楽しい道のりではなかった。しかしだんだん斜面の傾きが厳しくなってきて、途中からはロッククライミングと呼んだほうがいいような状態になった。角度30度くらいの岩の斜面が連なっている。岩に釘を突き立てて張られているロープを手でつかんで身体を引っ張り上げて、持ち上げた足を上の岩に載せるという動作を繰り返して行く。うっかり手か足を滑らせると下に落ちてしまうので、暗くてよく見えないとはいえかなり怖い。こういう状態になると、周囲に人がたくさんいることがありがたかった。実際に落ちかけて、後続のひとに助けられている人が何人もいた。 R0013348 (日の出後に撮影した写真。ガイドはロープなしに昇っている)

このロッククライミング路の途中で私を誘ってくれた友人がギブアップ。疲れよりも「これ以上進むと戻れなくなりそう。下を見るのが怖い」と言っていた。高所恐怖症のひとはこういうリスクもある、それが登山。

自分は意外と体力が続いていたので、1人で(ガイドとともに)粛々と進む。しかし、なかなかなかなかなかなか長い道のり。どうにか3929メートル地点に着く頃には、既に夜が明けていた。 R0013328R0013329 R0013330R0013331

この頃には自分はまたしてもかなりアップアップになっていて「ギブアップしようか」と弱気が頭をよぎった。座って休んでいたところ、あまり話したことのないハイキング仲間が後ろからやってきて「don't you go?」と声をかけられる。彼女もかなり疲れているが、まだ進む気だという。じゃあ私も行くよとエネルギーを絞り出す。「行く前に写真を撮ろうよ」と彼女がたくさん撮影してくれた写真が↑。

元気を振り絞って歩みを進めると、ほどなくして頂上が見えてきた。そして最後の100メートルほどはまたもやロッククライミング。ここまで来てあきらめてたまるか!と疲れた仲間同士、励まし合いながら登った。 R0013335R0013334

着いた、頂上! 7時ちょっと前に到着。 R0013336

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山頂で、ひとしきり記念写真を撮影する。麓の村が小さくかなたに見えた。

登りきった後は下るのみ。自分たちが通ってきた道がいかに険しかったか、日が昇ってから見るとよくわかる。 R0013342 R0013343 R0013344

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登りは5時間かかった道も、下りは2時間ほど。昨晩泊まった山小屋に着いた。下り道では普段あまり見る機会のない高山植物を撮影する余裕もあった。 R0013355R0013356 R0013354R0013358

山小屋で軽く休憩後、9時半頃に改めて出発する。幸いなことに2日目はずっと晴れていた。

自分は疲れていること以外何も問題はなかったが、仲間のなかには膝を痛めて下り道がつらそうな人が複数いた。痛めた片膝をかばうように歩いていたためもう片方の膝も痛くなってしまったり、見ているだけで辛そうだった。自分は膝に負担をかけないよう極力杖を使い、腕と足両方に体重が行くよう心がけた。

麓に到着したのは14時過ぎ。足を痛めた友人とともにのんびりしたペースで歩き、休み休み4時間半ほど下り続けた。麓の小屋のソファに座って他の仲間たちの戻りを待っていたら、自分はいつの間にか眠りに落ちていた。目が覚めると15人ほどの仲間がみな無事に戻ってきていた。

このあとホテルに戻り、翌日はコタキナバル近くの島のビーチで海を満喫した。水が透明で美しかった。 R0013361R0013363 R0013364R0013365 R0013366R0013367R0013368R0013370 R0013369R0013372 R0013371R0013375 R0013376R0013377 R0013378R0013379 R0013381R0013382 R0013383R0013385 R0013386R0013387 R0013389R0013391 R0013393R0013395 R0013396R0013401 R0013403R0013404 R0013405R0013406 R0013407R0013408 R0013409R0013410 R0013411R0013414 R0013436R0013438R0013441R0013443

おまけ。 ガイド曰く、キナバル山登山者の最高齢は84歳の日本人、最年少は9歳のシンガポール人(インターネットで調べると最高齢は94歳という情報もあった・?)。またマラソンならぬclimbthonがあるそうで、山の入口にこんな看板があった。 R0013316

4478040699D19 地球の歩き方 マレーシア ブルネイ 2011~201
地球の歩き方編集室
ダイヤモンド社 2010-11-27

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