海外から 本帰国するときの手続き
昨年末をもって、5年間のシンガポール生活を終えました。人それぞれ置かれた状況によってすることは異なりますが、自分がシンガポール撤退に際してやったことの覚え書きを残しておきます。
帰国前
- 金融口座の整理(シンガポールの銀行は住所を海外にすることもできるので、自分は銀行と証券を1口座ずつキープすることにした。ただし1年に1回も動きがないと凍結されてしまう可能性があるので要注意)
- クレジットカードの解約(支払いが全部片付いていないと解約できないので、ギリギリまで使わないように要注意。1ヶ月前くらいに使うのを止めておいたほうが良い)
- 部屋の引き継ぎ(フラット借りだったが、別のひとに契約を引き継いでもらうことにした。デポジットの精算等の手続きが省けて助かった)
- 仕事の引き継ぎ(日本と比べて引継ぎにかける時間は短いので、効率よく要点だけ教える必要がある)
- 税金の支払い(勤務先が引き落としてくれることもあるが、自分はIRASから通知ありそれに従って支払った)
- EPの返還(勤務先の人事に渡し、代わりにCancellation証明の手紙を貰った)
帰国後
役所に行く時は「(入国日の確認をするための)パスポート、戸籍謄本または戸籍の附票の写し、はんこ」の3点セットを忘れずに持っていくこと。
- 住民票の転入届け・国民健康保険と国民年金の加入手続き(2週間以内がめど。区役所・市役所でまとめてできる。場所によっては異なる窓口に行く必要があるらしい)
- 参考リンク1:海外から帰国した際の転入届について(教えて!goo)、
- 参考リンク2:海外から帰国するとき(4) 日本での役所手続き(はじめての海外生活)
- 免許証の変更手続き(住所が変わったら、住民票の写しを持って警察署へ)
- 既存銀行の住所変更(オンライン・電話で書類を取り寄せて返送。窓口があるところなら訪問でもOK)
- 銀行・証券の新規口座開設(5年も経つと色々変わってたので)
- クレジットカードの新規申込み(同上)
- SG金融機関の住所変更(SGの金融口座はオンラインで住所変更できて便利)
- もろもろ買物(冬服、家具、etc.)
人によって異なるので、他人様の質問は受け付けかねますのであしからず。
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シンガポール 銀行口座を開く
シンガポールに引越してきた、銀行を開けなくちゃ!というときの必要最低限の情報はシンガポール情報局さんによくまとまっています。まずここを見ましょう。注:このエントリーで扱うのは、現地に住んでいるのための情報です。シンガポール国外在住で、投資用の銀行口座を開きたいひとは別のページを見てください。
以下、個人的な印象論・メモです(2014年現在の情報)。
ローカル銀行以外にシティバンク、HSBCやスタンダードチャータード銀行などの外資系銀行もありますが、日常的に使う口座ならATM数が多いローカル銀行4行(DBS, POSB, OCBC, UOB)のいずれかが便利です。日本人を含む外国人はシティバンクを好むひとが多いですが、当地ではあまり良い評判を聞かない気がします。スタチャとHSBCはATMほとんど見かけません。
ちなみにDBSとPOSB、OCBCとUOBは提携関係にあるので、ATMの相互利用ができます(例:DBSカードでPOSB ATMから、OCBCカードでUOB ATMから引出しできる。手数料無料)。 DBSは最大手でATM台数も利用者も多いのですが、ATMに長蛇の列ができていることも多い印象です。DBSとPOSBのATMに行列ができてるかたわら、OCBCとUOBのATMはがら空き・・・という光景を見かけたことは何度かあります。
しかしDBS/POSBはクレジットカードのプロモーション(特典)で結構良いもの(人気レストランで1割引等)を出してることが多いので、その関係もあって人気があるのでしょう。シンガポール航空と提携してるクレジットカードもありますし(UOBもあります)。 参考:シンガポールでマイルが貯まるクレジットカードはどれだ?
日常的な口座は既に持っていて、もう1つサブ口座を持ちたい、できれば利息がよいほうがいい!というときは、インターネットに転がってる銀行利息ランキングを参考に決めると良いと思います。ただしプロモーション等で頻繁に変わるので、直接銀行のサイトや窓口で確認する必要はあります。 参考:Singapore Bank Account Rates(銀行利息ランキングの一例)
こぼれ話として、日本人から見るとどの銀行も利率いいなーという感じですが、他の国から来たひとはよく「利息低い!ほぼ0だよ!」と言ってます。当地でも10−20年前は普通口座で5%くらい利息ついたとかなんとか。
もうひとつおまけ。銀行口座で投資信託等の取引もできますが、本格的に株式取引をしたい場合は信託口座を開設してしまったほうが便利です。ローカル銀行の信託部門(DBS Vickers Securities, OCBC Securities, UOB Securities)もありますが、オンライン取引サイトの使い勝手が良いのはPhillip Capitalという評判です。 参考:Phillip Capital
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シンガポール日本人墓地公園 に行ってきた
いつかは行こうと思いつつ、すごく不便な場所にあるという噂に恐れを為して、先延ばししつづけていた。ちょっとしたきっかけがあり、足を運んでみるとSerangoon MRT駅からバス+徒歩で20分もかからなかった。なんだ、たいしたことないじゃないか……と思ったが、シンガポールやこちらのバスの仕組みに慣れていないひとからすると、これも「すごく不便」と感じるのだろう。だいたいの物事に関する評価は、人間が判断する以上、どうしたって相対的なものになる。
この墓地には、世界大戦中・後に当地で亡くなった軍人や労働者だけでなく、19世紀末に当地に”輸出”されてきたいわゆる「からゆきさん」(出稼ぎ売春の女性)、修行の旅の道すがら引き止められて当地に留まった僧侶やハリマオの名で知られるマレーの虎・谷豊などが眠る。変わったところでは、新聞記者としてロシアに滞在していた二葉亭四迷が帰りの船で近海を航行中に病死したため、記念碑が建てられている。
詳細に興味があるひとは、現地に行けば案内板が多数設置してあるし、日本人会も冊子を販売している。日本語フリーペーパーによる紹介も参考になる。
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アルメニアに行ってきた ゲハルド、ガルニ、民家レストラン
泊まっていたホテルの部屋があまりにタバコ臭いので、朝食後、レセプションに部屋変更をリクエストした。夜帰ってきたときにはちゃんと要望をかなえてくれていて満足。アルメニアはホテルもカフェも総じてサービスがよく、シンガポールのいまいちサービスに慣れた自分は感激しきりだった。なおアルメニアは喫煙者が多く、煙草okのホテル・カフェがほとんどなので、煙草が大嫌いな人はちょっと辛いかもしれない。
この日訪れたのは
- Geghard cave monastery (4世紀、ゲハルド洞窟寺院)
- Garni temple(ガルニ神殿)
- State history museum(歴史博物館)
の3カ所。()内の年号は建築年。参考 DTAC コタイク地方
ゲハルド洞窟寺院は、アルメニアがキリスト教を国教にした直後、305年に聖グレゴリオスが創設したといわれている。その後も名前が変わったり、建物が追加されたりして、今の形になったのは13世紀前半のことらしい。
ガイド氏が特筆していたのは、音響を考慮して設計された構造。奥のほうのホールで歌っているコーラスが、5部屋ほど先の、高さの違う部屋にまで響き渡っている様子を、当日確認した。1000年ほど前に岩をくり抜いてつくったにも関わらず、現代の音楽ホールのような音を響かせる構造が取り入れられているそうだ。
その後訪問するガルニのことをガイド氏が「pegan temple(直訳:異教徒の寺)」と呼んでいた。どんなものだろう?と思ったら、ガルニはギリシャ式の神殿だった。キリスト教布教以前のA.D. 1cに建てられたギリシャ式の神殿で、ギリシャ式風呂場跡も残っていた。
アルメニア滞在中に何度か、確固とした「point of view」の存在を感じた。自分が依って立つものをはっきりと確立してて、主張が明快である。この”pegan temple”という表現にも、アルメニアのはっきりした立ち位置が表れていると思う。彼らの宗教はキリスト教で、それが中心となって生活も文化も歴史も育まれている。キリスト教の解像度はすごく高く、今まで知らなかった表現・語彙を色々学んだ。いっぽうでキリスト教以外への関心はすごく低い。ギリシャ神殿やムスリム寺院があっても、ひとくくりで「それ以外のもの」と取り扱っている。しかし概念的なものから離れて建築・工芸的な意味では、面白い建築様式・模様・構造があったらどんどんアルメニア教会に取り入れていて、そこらへんの柔軟さというかバランスのとりかたというか……が興味深かった。
この日のランチは、ガルニそばの民家を利用したレストランでとった。焼きたてラバッシュ(薄く焼いたパン)と、焼いたマスが目玉。アルメニアは海に面していないが、湖でとれる魚であるマスは好んで食されるそうだ。もちろん前菜の野菜・ハーブ類もおいしかった。
この「ラバッシュ」は、アルメニア滞在中ほぼ毎食出てきた。作り方や窯の造りを見ていると、インドのナンに似ている。食感も近しい。発酵する時間がないので、ナンほどは膨らまない。これに野菜やチーズを挟んで食べる。
動画も撮った。貼付けられないのでリンクだけ:https://www.flickr.com/photos/kany1120/14211384425/
午後は歴史博物館でみっちり歴史のお勉強……残念ながら写真は撮影禁止。それからエレバン市内を歩いて観光した。
翌日朝にツアー代金の清算を済ませ、車で空港に送ってもらい、ガイド氏・ドライバー氏とお別れして、アルメニアを後にした。ウェブ上の日本語情報で「アルメニアは出国税がいる」という説も見かけたが、自分は払う必要はなかったし、周囲で払っているひともいなかったように思う。エレバンのズヴァルトス空港は最近新しいターミナルを作ったばかり。大きな免税店もカフェもあり、無料Wifiも飛んでいて、非常に快適だった。
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アルメニアに行ってきた ゾォラツ・カレール、ノラヴァンク、ホールヴィラップ
夜が明けたら快晴だった。ゴリスの町を車で軽く巡ってから旅路に着く。
この日訪れたのは
- Zorats Karer(ゾォラツ・カレール、アルメニアのストーンヘンジと呼ばれる)
- Noravank(12-14世紀、ノラヴァンク修道院)
- ノラヴァンクそばのワイナリー
- Khor Virap(4-17世紀、ホールヴィラップ)
の4カ所。夜はエレバンに戻った。()内の年号は建築年。参考サイト:DTACシュニク地方 ヴァヨツ・ゾル地方
ホテルを出て、何もない草原に忽然と現れるゾォラツ・カレールへ行く。英国にあるストーンヘンジにも似ている、どこまでも続く謎の石、石、石。いつ作られたものかは諸説あるが、ストーンヘンジよりも古いとか、そうでないとか。
その後はひたすら北上して、ノラヴァンク修道院へ。ここの建物のひとつにキリストの顔が彫られていて驚いた。ガイド氏曰くアルメニアではここだけ、もしかしたら世界中でもここだけかもしれないとのこと。
このノラヴァンク、そしてこれ以降訪れる場所は首都エレバンから日帰りツアーで来られる距離なので、大人数のツアー客をよく見かけた。ランチをとった修道院すぐそばのレストランも大きなフロアを擁し、欧米系の団体客が複数ワインを飲みながらにぎやかに談笑していた。
それから修道院のほど近くにあるワイナリーでワインの製造過程をざっと見学、試飲と買い物をした。1本1500ドラム程度(日本円で500円弱程度)で結構美味しいワインが買えてしまう。ロシアから来た客が大量に購入していくことが多いという。アルメニアの最大の貿易相手国はロシア、この国で手に入る美味しい農作物はほとんど国内かロシアで消費されるのだろう。
さらにエレバンに近づき、トルコとの国境近くにあるホールヴィラップ修道院に立ち寄る。トルコとの国境が近く、天気がよければアルメニア人にとっての聖地・アララト山が見える。そのためここはよくアララト山を遠景に、手前のワイン畑と合わせて写真に収められている。オスマン・トルコによるアルメニア人虐殺があったときは、命からがら逃げてきた人が、あの国境を越えてこの修道院に逃げ込んできたのだ…という話を聞いた。
この日はもやが多く、アララト山は「かすか」に見える程度だった。ホールヴィラップ内の教会地下には、アルメニアがキリスト教を国教として正式に認めるきっかけとなった聖グレゴリウスが14年に渡り幽閉されていた地下牢獄がある。ほぼ直角の梯子を使って地下に下りて、ガイド氏から聖グレゴリウスが当時の王の病を「治した」逸話を聞いた。
夜は首都に戻り、はじめ2泊と同じホテルに泊まった。晩御飯は市内で見つけた小さなお店でパンを購入し、道端で食べた。ついでにスーパーマーケットで土産ものを色々購入、具体的にはトマトペーストやケチャップ、ドライフルーツなどを買った。
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アルメニアに行ってきた ノラドゥス、タテフ、ゴリス
この日は南アルメニアに向かった。残念ながら南下するにつれ天候は悪化したため、楽しみにしていたタテフ修道院は、嵐が吹き荒れる中の見学になった。
この日訪れたのは
- Noradouz(7-17世紀、ノラドゥス)
- Old Selim Caravansera(13-14世紀、オールドセリム・キャラバンセライ)
- Tatev monastery(4-9世紀、タテフ修道院群)
- Goris(ゴリス町)
の4カ所。()内の年号は建築年。参考サイト:セヴァンとその周辺、シュニク地方
まずホテルから車で30分ほど、khachkars(ハチュカル)がたーーーくさんあるノラドゥス(直訳すると「新しい墓地」)を見学。ハチュカルとは、アルメニア教会にはほぼ例外なくある装飾品で、十字架等の装飾を彫った長方形の石碑。ノラドゥスでは墓石として使われているものが多かったが、ただの装飾として教会に置かれていることも頻繁にあった。
ちょうど良い機会なので、今回の旅行で撮影したハチュカル写真コレクションを一挙公開。装飾の細かさから、職人の手先の器用さ・繊細さが感ぜられる。
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この日はずっと灰色の雲が立ちこめていて寒かった。小雨が降りしきるなかセリム峠で車を降り、シルクロード時代に使ったというキャラバンセライ跡地に立寄った。「キャラバンセライ?教科書で読んだシルクロードか!」と感動した、が、かなり暗くてよく分からなかった・・・写真も真っ暗。雨が降ってなくても洞窟のようなものなので、専用の機械がないと撮影は難しいのかも。
ランチを食べ、さらに車を走らせアルメニア南部に入る。今日はタテフという崖の上に立つ教会に行く。崖の上にそびえ立つ修道院の写真を見て「ここは行きたい」と思うひとは多いと思う。下にwikipedia写真を貼っておく。
この日の行程はずっと山だったが、南部に行くにつれさらに標高が上がる。晴れていれば素敵な景色だったんだろうな、ここらへん。
山の中腹から5kmある世界最長ケーブルカーに乗り込み、山頂に登った。数年前に出来たばかりというケーブルカーはピカピカで、どこか場違いな感じがしたが、ケーブルカー上から見る山々はなかなか壮観だった。車だったらあの道を登るんだ…と指差された先にあったのは、絵に描いたようなカーブ満載の山道だった。
山頂に到着、このタテフ修道院は9世紀頃に大きく栄え、大きな学校と図書館を備えたという。いまも広大な敷地と建物は残っており、メインの教会、戦いに向かう前の兵士が祈りを捧げるための小さな簡易教会、大学の宿舎、食堂など、一揃いそろった小さな村のような雰囲気があった。切り立った山というか崖というか…の上なので、要塞的な機能も果たしていたのだろう。
見学を終え、ケーブルカー乗り場に戻る。雨風が強くなり、雷が鳴り始め、帰りのケーブルカーはなかなか出発できず、出発しても途中で何度もストップしてしまう。行きは5分程度?で終わった行程に、下りは30分ほど要した。その後も雨風はやまず、近くの町・ゴリスのホテルにたどり着くときには、嵐と呼ぶのがふさわしいような強風だった。常夏に慣れた自分には「まるで冬のよう」なひんやりとした夜になった。ガイドにそれを言ったら「冬は違う、もっとずっと暗くて寒い」と笑われたが。
宿の食堂はそんなことを忘れさせてくれるかのような暖かい空間で、夕食には温かいスープと牛肉を米を一緒に煮込んだ料理が出てきた。食堂の片隅にアルメニア地図があったので、それを使ってガイド氏が、90年代初頭にアルメニアとアゼルバイジャンがその地を巡って戦争になり、今では実質的にアルメニア人が統治する、しかし国連には承認されていない国家Nagorno Karabakh(ナゴルノ・カラバフ)について解説をしてくれた。
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アルメニアに行ってきた ハガルツィン修道院、ディリジャン、セヴァン湖
朝食後、ホテルの犬と遊んでから出発。この犬はとても人なつこくて可愛かったが、毛はゴワゴワと硬かった。当地では犬や鶏、牛や羊が道をふらふらと歩いていることがよくあったが、ほとんどの動物は野生のまま生きているような雰囲気で、柔らかいペットフードを食べて育った動物とは比べ物にならないくらい硬そうな毛皮をしていた(どちらが良いというのではなく)。
この日訪れたのは
- Haghartsin Monastery(12-13世紀、ハガルツィン修道院)
- Old Dilijan town(ディリジャン町)
- Sevan Lake, Sevan Monastery(セヴァン湖、セヴァン修道院)
- Tsaghkadzor town(ツァグカゾール町)
の4カ所。()内の年号は建築年。DTCAアルメニア観光局情報はこことここ。
午前中は快晴で、窓を通り過ぎて行く景色が美しい。ガイド氏も認める美しさで、何度か車を停めて写真撮影をした。
琵琶湖の2倍ほどもある大きなセヴァン湖のほとりにある町・ディリジャンを通りすぎ、ハガルツィン修道院へ行く。山奥にひっそりと佇むハガルツィン修道院は、その美しさに感動したアラブ人(もちろんイスラム教)のお金持ちが修復のための資金を提供したとか。ここも複合施設で、教会や修道院に加えて僧院や食堂として使われていた建物もあった。食堂の建物内で同修道院を撮影した写真を展示していて、20世紀前半?に行われた修復工事のときの写真も飾られていた、白黒写真がそれ。
入口に、1〜2年前に雷に打たれたという朽ちたクルミの木があった。「朽ちた」と書いたが、まだこの樹木は生きていて、新しい枝が出てきている。根元には猫がじっと座って、観光客を眺めていた。
ディリジャンに戻って土産物屋を見てから、レストランで昼食休憩。その後、セヴァン湖に浮かぶ半島にあるセヴァン修道院を見学した。
セヴァン湖はソ連時代に水位を人工的に下げたため、昔は離れ小島に立っていたこの半島が、今は陸続きになっている。だから正確にはいまは「半島」ではない。セヴァン湖は1000年単位で水位が上がったり下がったりしているという調査結果もあるので、修道院が建てられた時代も今のように陸続きだったのかもしれない。
この日は、ツァグカゾールというスキーリゾートにあるホテルに泊まった。冬になるとロシア人はスキーをするためにアルメニアに来て、ツァグカゾールや他のスキー場で休日を過ごすらしい。ロシアには(たぶんスケート場はあるけど)良いスキー場がないいっぽう、南コーカサスの山は雪質も良くスキーにはうってつけだとか。
夕食ではロールキャベツによく似たドルマという料理が出てきた。トルコやヨーロッパ各国でも似たような料理はあるようだが、アルメニアのトマトソースがたっぷり使われていて、とても美味しかった。
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